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「居心地のいいソーシャル」なソーシャルゲームとはどんな環境なのか? ちょっと考察してみた

はじめに

ソーシャルゲームはその名の通りプレイヤー同士が社会的なやりとり(競争や協調)を楽しむゲームです。例えば、貴重な報酬を獲得するための競争や、グループ内で協力して目的を達成するギルドバトル・レイドなどの枠組みが主だったかと思います。一方でそういった社会的なしがらみに疲れてしまい、ソーシャルゲームを嫌がる人も増え、ソーシャル要素の弱いゲームが主流になりゲームの形態は大きく変わりました。さらに最近では直接の友人との協力プレイのゲーム(モンストや白猫など)がヒットするなど新たなソーシャルの形態が出てくるなど、ゲームにおける "ソーシャル" 要素はめまぐるしく変化しています。

ではなぜソーシャル要素はこんなにも変化したのでしょうか?

ゲームでもSNSでも現実でも、他人と競争したり、仲間と協力したり、他愛のないコミュニケーションをとったり基本的にはソーシャルは楽しい要素です。しかし、ゲームでもSNSでも現実でも、競争やコミュニケーションなどに時々疲れてしまうこともあるかと思います。それでは、"ちょうどいい" ソーシャル度合いみたいなものはあるのでしょうか? ソーシャルゲームのソーシャル疲れというテーマについて人の社会的な振る舞いの代表例である「協調行動」の観点から考察してみたいと思います。

なぜソーシャルは疲れるのか?

これには複数の要因があると考えられます。例えば「競争」や「社会的しがらみ」だと思います。ここでは「社会的しがらみ」によるソーシャル疲れに焦点を当ててみます。ここで考える社会的なしがらみとは、「仲間が今がんばってるのだからがんばらないと」と思ったり、「仲間が◯◯してくれたから◯◯をお返ししないと」と思うなどして人の行動が制限されることだと考えます。

ソーシャルゲームではプレイヤーは前述のように互いに協調しあってゲームをプレイしています。こういった協調行動において,協調的な人とそうでない利己的な人がやりとりをすると、協調的な人が一方的に協力する(搾取される)だけになってしまい、やがて協力的な人はいなくってしまう(協調的でなくなったり排除されたりする)ため、協調行動は成立しにくいと考えられます【Axelrod, 2006】。ところが、人は現実世界やソーシャルゲームの社会でお互いに協力しあっています。したがって,人は相互に協調し合う関係を維持する心理的なメカニズムを持っているはずです。

そういったメカニズムには、

  • 「自分に協調してくれそうな(将来、相手からの利益が見込める)相手にだけ協調」する互恵性
  • 「自分に協調してくれそうかどうかを間接的に予想(他人同士のやりとりを見るとか)」する評判
  • 「利己的な相手に罰を与えて利己的な振る舞いを抑制」する懲罰

などがあります【長谷川, 2000】。またソーシャルゲーム内でも互恵性や懲罰といったメカニズムが機能している可能性も示されています【高野, 2014】。

これらは他人の利己的な振る舞いを抑制する効果があるため、協調行動を促進することができますが、同時にソーシャル疲れの原因になりうるのではないかと私は考えています。例えば、協調してくれた相手に協調し返さないと、「あいつは協調的じゃないから関わるのやめよう」という悪い評判が立ち、協調してもらえなくなる可能性があるため、そのグループでうまくやるにはちゃんと協調し返さなければなりません。しかし、現実には十分に協調しかえすことがリソース(時間やお金)の問題で難しく、無理をしなければならない(自分持つリソースの許容範囲以上のコストを支払わなければならない)こともあるでしょう。こういったことがソーシャル疲れにつながるのではないかと考えてます。

ソーシャル疲れは緩和可能か?

前節では互恵性・評判・懲罰のメカニズムが協調行動を促進し、また、それがソーシャル疲れにつながっているのではないか? と述べました。そういったことがソーシャルゲームの主流が協調を主軸においたタイプからソーシャル要素が弱いタイプに推移した要因の一つではないかと考えています。しかし、お互いに協調して目標を達成するようなことはとても楽しい要素であり、協調し合うという要素はゲーム中にあったほうが楽しいだろうなぁとも思っています。

実は互恵性・評判・懲罰がなくても協調行動は成立可能であることがHauertら【Hauert, 2002】によって理論的に示されています。Hauertらは、協調しかしない個体(Cooperator)、搾取しようとする個体(Defecter)、社会的なやりとりをしない個体(Loner)の3種類の戦略(社会的相互作用のタイプ)について考え、利得の多い戦略を持つ個体が増えるという集団(つまり選択淘汰によって進化する集団、または、各個体が利得の高い行動を学習して戦略を変える集団)という非常にシンプルな集団を考えました。ここで、Cooperator同士が相互作用した結果の利得は、Lonerよりも大きく、また、Cooperator/DefectorがDefectorと相互作用した時の利得は、Lonerよりも小さいとします。また、ここで考えている個体は個体識別能力や記憶能力すら持たず、ただひたすら自分の戦略の通りに協調したり裏切ったり参加しなかったりするという非常にシンプルな個体です。

この集団をシミュレーションした結果は以下です。

  • Loner戦略の利得が比較的大きいと、CooperatorはDefectorに搾取されてDefectorが多くなるもののDefector同士の相互作用は利得が低いので、その後にLonerが増加し、Lonerのみになってしまいます。
  • Loner戦略の利得が小さめであるときに、この3種類の戦略は共存し増減するような振動を続けます。つまり、協調行動が部分的に成立します。


この結果からソーシャルゲームに対して示唆するところを考えると、ソーシャルゲームにおいても、社会的なやりとりに参加しないという選択肢があり、参加しなかった場合の利益が「協調し合うより小さく、搾取されるよりは大きい」かつ、その利益が大きすぎない場合に、「社会的なしがらみ」がなくても協調行動は成立可能であることです(そうでないとみんな単独でゲームするだけ)。したがって、協調し合うことのインセンティブ・他人を搾取することのインセンティブが、単独でゲームをすることとバランスがとれていれば、ソーシャルにプレイしたり(協調し合うとか)、一人でプレイしたりといったプレイスタイル(戦略)を気軽に変える事ができ、協調がある程度成立しつつ互恵性・評判・懲罰の3つのメカニズムの必要のない環境を作ることができると考えられます。人は互恵性・評判・懲罰が可能な能力を持っているので、そういった環境でも社会的しがらみを完全に失くすことは難しいと思われますが、緩和は可能なのではないかと考えています(それについてHauertらのモデルを拡張して検討してみても面白いかも)。

まとめ

ソーシャルゲームにおけるソーシャル疲れについて、協調行動を促進するためのメカニズム(互恵性・評判・懲罰)が要因の一端ではないかと考え、それを軽減しつつ協調的な環境を用意するにはどうしたらいいか? について考んがえてみました。

上記のように社会的な場面に参加しなくても大きく得も損をしないゲームデザインをすることで、互恵性・評判・懲罰などの社会的しがらみの要因になりうるメカニズムを使わなくてもいいように設計することが、ソーシャル疲れしにくく、かつ、協調的な振る舞いが成立している「居心地のいい」ソーシャルゲームのデザインにつなげることができるんじゃないかなぁと思います。

参考文献

  • Axelrod, R., "The Evolution of Cooperation: Revised Edition", Basic Books, 2006.
  • Hauert, C, De Monte, S, Hofbauer, J, Sigmund, K, "Volunteering as Red Queen mechanism for cooperation in public goods games", Science, vol. 296, pp.1129-1132, 2002.
  • 長谷川 寿一, 長谷川 真理子, "進化と人間行動", 東京大学出版会, 2000.
  • 高野雅典, 和田計也, 福田一郎, "ソーシャルゲームにおける互恵的利他主義に基づく協調行動", 第8回ネットワークが創発する知能研究会(JWEIN2014), 2014.